メンバー/Members

田所聖志 Tadokoro, Kiyoshi (東京大学医学部特任研究員)
■自己紹介と研究紹介
出稼ぎ、移民という経験が、若者の社会的地位に与える影響を、文化人類学の立場から理解しようとしてきました。「シングル」について考えるにあたり、中高年、高齢者にも関心を広げようと模索中です。もともと民俗学に関心を持っていて、1992年から北関東を中心に農村地帯で聞き取り調査をしてきました。現在のメインの現地調査はパプアニューギニアで行っています。ニューギニアはとってもいいところです。2006年からは神奈川県で高齢者の活動に関する調査も始めました。

■今の抱負
 人は生まれ育った社会なり文化なりの規範に基づいて行動をする。ニューギニア島の周縁部の人々にとって、たくさんあるそうした規範のうち重要なものは、1)ジェンダー規範、2)親族関係と姻族関係、3)年齢秩序である。男女の行動の違いは明確であるし、親族や姻族とそれ以外の関係の人々とのやりとりのありかたはまったく異なる。同性の間では、とくに男性同士だと、日常的なやりとりの場で年齢の上下関係は顕在化しないが、イニシエーションなどの儀礼の場を通じて年齢の差異が構造化される。そうした年齢秩序は、男性たちがなしている政治的な社会領域の軸となっている。男女の暮らしぶりに限って言えば、夫婦であれ兄弟姉妹であれ、男性と女性とが対になった生活が望ましいとされる。
 このような文化・社会的背景のもと、「ひとり」でいる男女、若者、老人たちはどのような生活を送っているのだろうか。また彼らの社会的位置取りに「ひとり」という状況はいかなる影響を与えているのだろうか。今、カギ括弧つきで記した「ひとり」という言葉やその含意を、仮定した分析概念として用いるのか、あるいは現地社会の文脈に沿った記述概念として用いるのか、十分な検討が必要と思われる。その点を念頭に置いた上で、さしあたり単身行動をとる若者について言えば、彼らが1人でとる行動それ自体が、社会的地位の上昇と結びついている。たとえば、ニューギニア島の周縁部のテワーダでは、都会や他の言語集団の領域をめぐってきた若者のそうした経験は高く評価されている。若者以外にも、「ひとり」でいることのある男性、女性、老人たちは、いかなる処遇を与えられているのか、そこに社会的背景がいかなる関連を持つのか検討する必要があろう。
 本研究会に参加するにあたり、「ひとりでいる」という状況に対する社会的対応のありさまを、2002年から実施している現地調査に基づき、とくにテワーダの文脈から検討していきたい。また、そうした検討のうえで、「シングル」という曖昧なままでいる言葉を分析概念として洗練させるという試みに寄与したいと考えている。


一年を通じて雨の多いニューギニア島の周縁部につかの間の晴れがやってきた。(2002年/カミナクァワ村)

午前中。人々は畑に行く前に雑談をしていた。(2002年/カミナクァワ村)

村の集会が始まった。簡易診療所の広場に人々が集まった。(2003年/カミナクァワ村)

集会の様子を見守りながら、女性たちは手仕事をしていた。(2003年/カミナクァワ村)

若い女性が網袋にバナナを入れ、徒歩で2日かかるマーケットへ売りに行った。(2004年/アムノニ村)

橋は老朽化している。1人ずつ静かに素早く渡る。(2004年/アニア村)

ジョン(仮名)はひとりでケビアンのプランテーションへ働きに行った。二度目は妻と一緒だった。息子はケビアンで生まれた。(2004年/プカウィ村)

簡易診療所の診察に連れられてきたマリア(仮名)にレンズを向けると、じっと見つめ返した。母のアネマリ(仮名)は夫の二人目の妻である。(2003年/カミナクァワ村)

カミナクァワ村でコーヒーを栽培している人は1人だけ。買い手がいるのは歩いて2日かかるマーケットだから。(2002年/カミナクァワ村)

カミナクァワ村でお祭りがあった。子どもはサツマイモを手にして笑顔を見せた。(2002年/カミナクァワ村)

人が亡くなった。埋葬した後に祈りを捧げた。(2003年/カミナクァワ村)

川辺で女性が樹皮を叩いていた。寡婦が身につける独特の腰みのをつくるためだ。夫は数年前に亡くなった。(2004年/カミナクァワ村)



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