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細谷幸子 Hosoya, Sachiko (東邦大学)
現在、私はイラン・イスラーム共和国をフィールドとして、介護・看護に関する文化人類学的調査・研究をおこなっています。
私はもともと、大学病院に勤務する看護師でした。大学病院を退職してから、医療をもっと広い視点で理解したいと思い、社会科学系の学部に再入学しました。
イランを研究のフィールドとしたのは、学問的な関心の対象だったからというよりは、むしろ偶然の力が大きく働いたからというほうが近いかもしれません。
大学の授業で調査していた都内のある地域に、在日イラン人が集まる場所がありました。そこに通い始めたのがきっかけで、イランに興味をもつようになり、イランをフィールドに、医療や福祉に関する調査・研究をしたいと思ったのです。

現在の研究
人口の90%以上がシーア派モスレムであるイランでは、身体に関わる宗教的な規範が、社会的な拘束力をもっています。現在、イランでは、女性が頭髪や身体のラインを男性の視線から隠すために、スカーフやゆったりした長い上着を着用することが義務付けられていますが、これも、イスラームの規範からです。
イランでは、近年、これまで家族内でおこなわれてきた介護・看護が、病院や介護施設の中で、他者によって担われるという状況が見られるようになってきました。
しかし、介護や看護は、他者の身体の最もプライベートな部分に、直接的な関わりをもつ行為です。介護や看護の場面では、他者の視線から隠されるべき身体の部分を露出し、他者からの直接的な接触を受けることが必要となります。それだけでなく、介護・看護をする側は、排泄物や血液といった、イスラーム法上、不浄とされるものに触れることにもなります。このような状況において、介護・看護を受ける側、提供する側は、どのように身体に関する規範を解釈し、遵守しようとし、あるいは無視しようとしているのでしょうか。

現在の私の関心は、身体を見ること、露出すること、それに接触すること、そして、人間身体の生理に関する、さまざまな規範が存在するイラン社会において、医療施設や介護施設内で看護・介護スタッフによって行われるボディ・ケア(排泄、入浴、臥起、更衣、清潔の介助など、身体に直接的に関わるケア)が、どのような意味合いをもっているのかを、イランの文化的・社会的な状況の中で理解することにあります。

シングル研究との接点
1999年から2003年までの断続的な現地調査期間中、私は、参与観察を目的として、テヘランにある病院や介護施設で、看護スタッフとともに働いていました。「働く」といっても、ペルシャ語が上手に話せない私にできることは、病棟の掃除をしたり、患者さんの身体を拭いたり、シーツを交換したり、という業務でした。
こうした仕事は、無資格の看護助手がおこなっています。一緒に仕事をしながら仲良くなった看護助手たちと話しているうちに、彼女たちの中には、離婚したか、あるいは配偶者を亡くして、生活に困窮し、学歴も資格も、技能も経験もないために他の職種につくことができず、仕方なく看護助手として就職したという女性が多いことがわかってきました。
調査中は、病院や介護施設で働く看護スタッフ以外にも、男女ともに、さまざまな人々と知り合いました。しかし、親族でない男女が身近に接することに対して寛容ではないイラン社会で、筆者が頻繁に訪問し、滞在することが許され、何でも話せるような親しい間柄をもつことができたのは、夫のいない女性たちでした。
母親である女性とその子供たちだけで構成された家庭には、偶の兄弟の訪問がある以外、成人男性の出入りはありません。そのため、私も彼女たちも、気兼ねなく、何時間も話に興じることができたのでした。
こうした状況の中で、私は、何人かの離婚訴訟中の女性たちと、親しい関係をもつことになったのです。

ここで、「離婚訴訟中」と書きましたが、この「離婚訴訟中」の状態というのが、イランというフィールドから、「シングル」の研究に対して、一つの興味深い事例と視点を提出できるポイントではないかと考えています。
イランでは、離婚は決していいことではありませんが、離婚率は低くありません。イランの都市部では、とくに公的セクターにおいて女性の雇用が進んでいるため、女性が家庭の外に職業をもち、一定の収入を得ることができる環境があります。これが、結婚生活があまり幸福でない状況に陥った場合に、離婚という選択肢を選ぶ、一つの要因になっているのかもしれません。
しかし、イランにおいては、結婚制度そのものに、男女間の差異があるということを認識する必要があります。一夫多妻制であるイランでは、男性は、結婚していても他の女性と性的な関係をもち、結婚することができます。しかし、女性には、それが許されていません。結婚している女性が夫以外の男性と親密な関係をもつことは、処罰の対象とされています。
また、離婚に際しては離婚訴訟をおこなわなければなりませんが、女性側からの申し立ては、夫が薬物依存症であるような場合を除き、受理されるのが難しいという現実があります。子供の養育権も、男性側が得るに有利な立場にあります。そのため、男性が姿を消してしまった場合、あるいは、婚資を支払いたくないなどの理由で離婚に応じようとせずに、訴訟に必要な協力を拒否している場合、女性側が望んだ離婚が成立するまでに、10年近くかかってしまうこともあります。
離婚が成立すれば、「離婚した女性」という法的地位が承認され、この時点で、女性は他の男性と恋愛をしたり結婚をしたりすることができるようになります。しかし、訴訟期間中は、実際は別居し、夫からの経済的援助は得られない状況でありながら、法的には結婚している状態のままです。すなわち、この期間は、既婚女性に課されるさまざまな制約の下に置かれているにもかかわらず、既婚女性なら当然要求できる夫の扶養も得ることができず、一人の収入で子供を育て、自立した生活をしなければならない、苦しい時期だということができます。
この時期を乗り越えるために、彼女たちは、働き、職場のセクハラや親族の非難に耐え、独り身の寂しさと向き合い、夫のいない生活の自由さを感じ、男性たちの欲望をすり抜け、親族や友人、時に慈善家たちの援助に甘えながら、たくましく生きています。

こうした「離婚訴訟中」の女性たちに関する情報をもとに、「シングル」に関する研究に寄与できたらと思っています。

①雪のダマーヴァンド山を臨むテヘランの大通り

②イランで信仰を集める聖者廟の美しいドーム

③聖者廟でおこなわれた断食明け大祭朝の集団礼拝

④筆者が通っていた介護施設の中庭

⑤介護施設の入所者たち…家族愛が重視されるイラン社会で、家族と共に暮らすことができず、施

⑥介護施設の入所者

⑦介護施設の入所者

⑧介護施設の入所者

⑨介護施設の入所者 施設では、断食月などに、慈善家が入所者を招いて食事会を開く。

⑩介護施設で働く看護師・准看護師

⑪介護施設で働く看護助手


注)本文で紹介した、離婚した(あるいは離婚訴訟中の)女性たちの写真は、プライバシーの問題で掲載することができません。以上の写真の方々が、離婚していたり、離婚訴訟中であるわけではありません。


細谷幸子(ほそやさちこ)
東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程在学中
研究領域:イラン地域研究、看護学
看護師・保健師

『イランを知るための60章』明石書店(岡田恵美子編)2004年9月(共著、「墓参りと夢~生者と死者を結ぶコミュニケーション」と「イランの医療事情~縮まる都市と農村の格差~」を執筆担当)
『宗教と福祉』皇學館大學出版部(IAHR2005東京大会パネル記録)2006年7月(共著、イスラーム:「イランの介護福祉施設におけるボランティア活動とイスラーム」を執筆担当)
「病院でヘジャーブをとるということ」アジア・アフリカ言語文化研究所 通信』第103号、pp1-6、2001年11月(単著)
「イランの墓地事情」『アジア・アフリカ言語文化研究所 通信』第106号、pp16-24、2002年11月(単著)
「イラン・イスラーム共和国 異文化を通して見る看護1~6」『看護管理』第14巻第1号~第6号(2004年1月~2004年6月)


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