フィールドの話/Field Story

人づきあいのちょっとした難しさ――ニューギニアにおけるタバコの回しのみと「良き振る舞い」 (田所聖志
 どの文化でも礼儀は大切なことだし,目の前にいる相手に対してふさわしい接し方をすることが重要な意味を持っている。調査地で目にする日常生活の一瞬に,それを深く感じる人類学者は多いだろうし,またそのときの印象や違和感が,あるいは人びとの関係を理解する手掛かりになるかもしれない。
 筆者がニューギニアのテワーダ(Tewada)の人びとの間で村落調査をしたとき,周りは,大人も子供も皆タバコを吸う人たちだった。タバコは一人で吸うよりも,大勢での「回しのみ」が好まれる。竹のパイプで吸うときも新聞紙で巻いたときもそれは同じである。たくさんの人がいる中で,手にしているタバコを誰にわたすのか。そうした小さな選択が,日常生活にわずかな亀裂やざわめきを生んでしまうこともある。
 2003年1月9日の午後,友だちの家に数人で立ち寄って話をしていると,2人の男性PとDが来て戸口からのぞき込んできた。Pは新聞紙で巻いたタバコをくわえていた。すぐにPは,私たちの輪の中にいた男性Mに「オジさん(amo)!」と言って,指に挟んだタバコを差し出した。だが,Mは「いや,いや,トウさん(apo)に…」と言って,Pと一緒に来たDを指した。そのとき私にはPの顔が少し曇ったように見えた。PがタバコをわたそうとしたのはMであるのに,当のMからは「まずDにわたせ」という反応が返ってきたのである。結局Pはまず,自分の隣に立つDにタバコをわたした。一方のDはにこりともせず,むしろこわばった表情で,一口だけ吸ってMに手わたした。受け取ったMも芳しい顔をしていなかった。3人が3人ともどこか不満そうだった。
 ニューギニアの多くの社会では,モノとモノの交換が人間関係を基礎づける。この点について人類学でよく扱われてきたのは,大規模な豚の交換儀礼や,結婚を成立させる婚資の授受などである。これらに限らず,様々なモノのやり取りは日常生活にも見られる。テワーダの人びとは,野菜や芋,たまに手に入れた豚や魚の燻製などをプレゼントしあっていた。彼らは,やり取りをある種の娯楽として楽しんでいるように見えた。
 タバコの回しのみもそうした交換行為と捉えることができ,わたす方も受け取る方もとても楽しそうである。大勢での回しのみや,大人と子供が入り交じって奪い合う姿はとても愉快に見えたし,筆者自身もその楽しい輪の中に入ろうと,タバコを片手にいろいろと試すこともあった。
 なのに,先ほどの3人はとてもつまらなそうで,消化試合をこなすかのようだった。筆者はそこに違和感を覚えたのである。これはどうしたことだろうか。
 タバコを吸っていたPにとって,タバコをわたそうとしたMは「オジ」である(*1)。Pが「チチ」のDではなく,「オジ」のMにタバコをわたそうとしたのは,上位世代への敬意を表すためだけでなく,同じ土地保有集団の成員であるDよりも,外部のMとの親しい関係を強めたかったからである。
 ところがMにとってDは「チチ」であり,MはDよりも先にタバコを受け取るわけにはいかなかった。Mとタバコのやり取りをしたかったPと,Dとの関係を壊したくないMの意図が交錯し,結果としてPの最初の働きかけは空振りになってしまった。Pの気持ちに気づいていても,それに応えられなかったMや,またタバコを受け取らざるを得なかったDにとっても,それは歓迎すべきことではない。3人がつまらなそうに見えたのは,こうした事情による気まずさのためだった。Pが「オジ」にタバコを差し出した何気ない一言が,なごやかな談笑の雰囲気に一瞬の亀裂を生んでしまったのである。
 テワーダには,「良き振る舞い」などを指して使われる「ヤーフゲ」という表現がある。この言葉は,各種の儀礼や農作業の「正しい手順」を指しても使われる。
 人びとにとって大事なのは,その行いが「正しい(apanu)」かどうかという点である。「人にモノをあげることは『ヤーフゲ』だ」とテワーダの多くの人びとが語っていた。だが,その行いが「ヤーフゲ」と言われるのは,その場で生まれた役割の中に各人がぴったりと,いわば「収まっている」場合である。あげるべき人があげ,受け取るべき人が受け取る。そうしてその場は円滑に流れ,皆が「楽しくなる(saseki)」ことが望まれる。モノをあげた行いが「ヤーフゲ」と言われるのは,こうした状況を生み出したときである。
 今回のPの一言は「オジ」に対する何気ない申し出であったし,人にモノをあげることは,多くの場合,その場に楽しい空気をつくることでもある。だが,MとDの関係への気配りをうっかりしてしまったため,せっかくタバコを差し出したPの行いも「ヤーフゲ」とは見なされなかった。
 その場の雰囲気や,いる人びとの関係の中に人の役割は現れる。そうした一人一人の役割を果たしてゆく中に「ヤーフゲ」,つまり「良き振る舞い」が現れる。それが今回はズレてしまい、その場にいわば「収まりの悪さ」が生まれてしまったのである。
 もし,ニューギニアにおける人間関係のあり方を読み解こうとしたら,その手掛かりは日常生活でのこのような些細なやり取りの中に潜んでいるのではないだろうか。またそこに現れる関係は,華やかな研究テーマであった交換儀礼や婚資の授受などで見られる関係構造の裏に存在する基礎となっているようにも思える。
 ちなみに,2日後,Pと歩いていると,Mが呼びかけてきてタバコを差し出した。笑いながらPは返礼としてベテルナッツをMにわたしていた。
 タバコを次に誰にわたすのか。些細なことのようで,これはちょっとした,繊細な,そして重大な問題なのである。


(*1) テワーダは類別的な親族名称体系であり,この2人の系譜関係は明確でない。

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■三人の関係

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■タバコのパイプを手にした女性














*『通信』122号掲載予定。


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