活動記録/Activities

第14回研究会
日時 2009年12月13日(日)13:30~18:00
場所 京都大学東京オフィス 会議室1

 宇田川妙子さん  (国立民族学博物館)
            「イタリアの「シングレ」をめぐる諸事情」
 岡田浩樹さん    (神戸大学)  
             「自壊する民族文化とグローバル化 -韓国農村シングル男性と国際結婚」  

豊富なデータによるご発表、ありがとうございました!

京都大学が新しくオープンした東京オフィスの会議室を使いました!
品川駅から徒歩5分。
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/tokyo-office
ラウンジはとくにすばらしく、東京タワーを夜景でみられました。

研究発表の要旨↓

イタリアのシングレの背後にあるもの   宇田川妙子(国立民族学博物館)

 イタリアでも、他の多くの先進国と同様、近年独身者が増えつつあり、彼ら・彼女らを指す新たな言葉として「シングレ(single)」という語が1990年代ころから口の端に上るようになってきた。これは、スペルからも容易に想像がつくように英語のsingleをそのままイタリア語読みにしたものであり、時には「シングル」という英語読みでも使われる。そこには、結婚経験のない未婚者だけでなく、離婚や別居(イタリアでは離婚には3年間の法定別居が必要)、死別による独身者も含まれる。
 もちろん、イタリア語でも独身者を表す言葉はすでに存在していた。たとえば未婚の女性はジテッラ(zitella)であり、男性の未婚者はスカーポロ(scapolo)、寡夫・婦はそれぞれヴェドヴォ・ヴェドヴァ(vedovo・vedova)と呼ばれていた。1970年に離婚が認められてからは、離婚者や別居者を意味するディボルツィアート(divorziato、女性はディボルツィアータ)やセパラート(separato、同セパラータ)も日常的に使われるようになった。しかし、そこにはいずれも揶揄的な意味合いや差別感が含まれており、彼ら自身でさえ「これらの言葉はPC(ポリティカル・コレクトネス)に引っかかるんじゃないの」と言っていたのを何度か聞いたことがある。シングレとは、独身者が増えつつある中、こうした差別的な見方を一掃し、独身という生き方を積極的に捉え直そうとする言葉だったのである。
 本発表は、この言葉の使われ方に着目しながらも、実態としての独身者たちはどのような生活をしているのか、まずは統計資料をつかって概観し、特に最近の若い世代の独身者たちの抱える問題を指摘した。そして、より個別のケースとして、発表者が調査をしているローマ近郊の町における独身者たちの事例を、男女の別、および世代の差に注意しながら紹介し、イタリア社会における独身者たちの位置づけについて考察を行った。
そこからは、独身者たちはたしかに周辺的な位置づけにあるが、家族関係や友人関係を積極的に利用することによって、ある程度はその周辺性を脱することが可能であることが浮かび上がってきた。しかし、その戦略はあくまでも一定の範囲でしか効力がなく、やはりしばしば貧困などの状況に陥り易いことも否定できない。また、最近の若い独身者たちの窮状には、こうした旧来型セーフティ・ネットであった家族の変化が大きな影響を与えていると見ることもできる。つまり、家族の範囲が狭くなり、家族内での仕事が少なくなるにつれ、独身者たちは家族という資源には頼れなくなっており、だからといって、慢性的な就職難が続いている労働市場にもなかなか希望が託せず、独身者はかつて以上に孤立する危険性もあるのである。
 こうした状況の中、一時流行したシングレという言葉は、やはり独身者の生活の厳しさには変わりないという現状認識ゆえか、ごく最近では、メディア以外で聞くことはほとんど無くなった。また、プライバシーという意味と結びついて私的・趣味的な生活を謳歌する独身者というイメージがないわけではないが、これもまたほとんどメディア先行のイメージだろう。
 したがって、シングレとは一過性の言葉でしかなかったかもしれないが、こうした言葉が生成・消滅するという現象自体が、イタリア社会における独身者の位置の揺れを示していることは間違いない。そして、そうした独身者の不安定な立場からは、イタリアの家族や社会のある側面が逆照射されていくことも容易に想像されるだろう。本発表は、そのための準備作業の一つであった。
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