活動記録/Activities

第11回研究会
第11回研究会
日時 2009年5月6日
    13:30~18:00
場所 東京外国語大学AA研 府中キャンパス 会議室 302

発表者1 椎野若菜 
題目   「今年度の研究方針について」

発表者2 田中雅一さん (京都大学人文研)
「ひとりだけどふたり?ひとりだからふたり?売春婦との対話から
考える守護霊、配偶霊、インナーチャイルドの民族誌」 

要旨↓

 「ひとりだけどふたり?ひとりだからふたり?売春婦との対話から
考える守護霊、配偶霊、インナーチャイルドの民族誌」
                                     田中雅一さん (京都大学人文研) 


 人類学が生み出し、蓄積してきた民族誌を読むと、奇妙な、しかし人類学者にはおなじみの現象に出会う。それらは守護霊、配偶霊、悪霊といった憑依霊の存在である。憑依霊の存在を信じる当事者から見れば「シングル」ではない。しかし、それを信じない他者(人類学者)から見るとシングルである。こうした霊の存在は、文化の位相を超えてわたしたちの自己、自立、身体の単体性に基づく個体などについての「科学的な」常識を揺さぶる。ここでは主として精霊憑依の民族誌とわたし自身の日本でのインタビュー・データを使用するが、ほかに仮面や生まれ変わり、演劇的パフォーマンス、あるいは入れ墨など、より一般的に「ダブル(分身)の民族誌」あるいは「エス(無意識)の民族誌」とでも呼べる領域を射程に入れた議論であることをことわっておく。
 ただし、憑依をめぐる議論においては、花淵や石井のように、西欧的人格・身体観への批判を含むものもある。したがって、たんに憑依現象をより普遍的で、そこにシングル性を撹乱する現象を指摘するだけではそれほど独創的な議論とは言えない。わたしがここで提示したいのは、オーラル・ヒストリーなど語りの形式を採用している民族誌である。なぜそれにこだわるのか。その理由は2点ある。まず、当事者が民俗的理解(かれはお不動さんに憑依されているといった文化的な言明)を超えてどう語っているのか。語りの彩に注目することで、個別の事例を守護霊、憑依霊などに一般化することを避けたいのである。つぎに、語りがだれか(多くの場合研究者)への語りであるとしたら、そこに自己と他者との相互交渉のあり方、あるいは他者にたいする身の構えについてさらに考える可能性が認められるのではないか。この2点の理由からオーラル・ヒストリー的手法を採用する民族誌に注目する。事実の提示をたんに再現するだけではなく、その語られ方に注目したいのである。
 具体的な事例として取り上げたのは、中野卓編著『口述の生活史――或る女の愛と呪いの日本近代』御茶の水書房著著(1977)、『クラパンザーノの『精霊と結婚した男――モロッコ人トゥハーミの肖像』紀伊國屋書店(original 1980)、そしてわたし自身が聞き取りをしたインナーチャイルドをめぐるある女性の語りである。
 憑依霊やインナーチャイルドの語りを支配するのは受苦の経験である。これは、受動的になることの作法の重要性を示唆していると言えないだろうか。そのような受動性をダブルになることの経験だけでなく、それを語る語りからも理解しようと試みた。結婚していようがいまいが、一人で住んでいようがいまいが、孤独であろうがそうでなかろうが、わたしたちは「シングル」である。しかし、受苦を引き受ける身構えがあれば、わたしたちは世界に開かれていて、「シングル」とは言えない。そのような主張をダブルの民族誌は示唆している。
● コメントがありません。
このアイテムは閉鎖されました。このアイテムへのコメントの追加、投票はできません。
Page Top

Global Navigation

AACoRE > Projects > シングルと社会
ILCAA