活動記録/Activities

第10回研究会
第10回研究会
日時 2009年2月1日(日) 13:00~18:00
場所 東京外国語大学本郷サテライト7F 会議室

発表者1 幅崎麻紀子さん(北海道大学)

発表者2 上杉妙子さん(専修大学・非) 
      市民兵士と非市民兵士のシングル性
                ↓ 要旨

【発表要旨1】「寡婦」から「シングル」へ:ネパール社会における「シングル性」の表出の過程
                                 幅崎麻紀子(北海道大学)


 本研究では、ネパールにおける「シングル」について概観した上で、「シングル」が結ぶ寡婦グループに着目し、「シングル」であることが寡婦の人々の如何なる行動実践に結びついているかを報告した。その上で、「シングル性」が新たな寡婦コミュニティを作る鍵概念となる可能性について指摘した。
 ネパール語を母語とするパルバテ・ヒンズー社会では、絶えず何らかの家族・親族と暮らし続けるという意味では「シングル」とはならない社会と言える。配偶関係においては、「シングル」であることの持つ意味づけにはジェンダー差がある。女性の場合は未婚・離別・死別は、いずれも「夫がいない」状態であり、且つ、家族・親族と共に暮らすという意味では、「シングル」ではない。
しかし、近年、寡婦達が「シングル」として集まり、自分たちを「単身女性(エッカルマヒラ)」と名乗り始めている。その背景には、1996年より10年間続いた内戦により、寡婦が急増した点が挙げられる。その中心となっているのがNGO団体「WHR(Women for Human Rights)」である。1994年、湾岸戦争により夫を亡くした女性を代表とする団体で、2007年現在、38郡に140のグループを抱え、参加者は14,000人を超えるネパール最大の寡婦グループである。年齢や民族等を問わず、「寡婦」であることがグループの求心力となっている。もともと、同グループは「単身女性の生活の強化」であり、①単身女性の社会的経済的ステータスの上昇、②単身女性の権利擁護、③政治経済領域への単身女性の参加、④単身女性の自尊心の向上を目的とし、寡婦を取り巻く慣習の改善、経済的自立に向けた活動や政府へのロビー活動等を行っている。
 同NGOの活動と相俟って、各地では、「寡婦」グループの結成が相次いでいる。女性達が寡婦グループを結成したり、寡婦グループに入るきっかけとして、WHRによる「タリム(トレーニング)」と呼ばれる講習会やワークショップの影響は大きい。寡婦たちは、何か得るものはないかとWHRの講習会に参加する。そこで、「未亡人(ビドワ)」では無く「シングル(単身女性)」であること、未亡人としての社会的差別を受けなくても良いこと、財産相続の法律や手続き、職業訓練情報やマイクロクレジット等についての知識を得る。そして、寡婦どうしが出会い、グループ形成へと繋がる。彼女たちは、日々、寡婦グループの集まりの場である「オフィス」に集まり、お茶を入れて飲み、雑談をしたり、「仕事(その場でする事)」をしながら、そこに集まる人たちと、悩みや経験を共有する。そこは、寡婦であるということが、寡婦の苦悩を理解し合うことができると期待された場となる。
 更に、寡婦グループは、様々な儀礼を行う。その代表的な儀礼が、ティージ儀礼である。ヒンズー教の既婚女性達が夫の長命を願って祈るティージ儀礼の日に、寡婦グループも集まり、自分たちの「ティージ儀礼」を祝う。寡婦達は、夫が生存する象徴である赤いサリー、ポテ(ビーズの首飾り)等を身につけ、互いに、祝福の徴である赤いティカを額に付ける。そして、歌を唄い踊りを舞う。そこで行われるティージ儀礼の意味は、シバ寺院を訪れ、夫の長命を願い女性達が集う従来のティージ儀礼ではなく、寡婦運動グループのメンバーが寡婦として行う儀礼である。ゆえに、寡婦の女性たち自身でティカを付け、「私たちは他の女性達と同じよ・・・今は私独りじゃない・・・」と歌い踊る。
 寡婦グループは、地縁、血縁を超え、民族を超え、「寡婦」であることで形成され、寡婦としての緩やかなアイデンティティに支えられるコミュニティである。そこに、集まる人々の考えや動機が異なり、決して同質的な集団ではない、新たなコミュニティが育ちつつある。
 彼女たちは、家族・親族と暮らすという視点からは、「シングル」ではない。しかし、自分たちを「シングル」と同定し、「シングル」という言葉を使って表現する。そして、「シングル」を資源として自らの生活世界を切り開き、寡婦コミュニティを形成し、社会運動を展開する。そのような寡婦たちの行動実践を支えている概念を「シングル性」として考察した。


【発表要旨2】市民兵士と非市民兵士のシングル性
                          上杉妙子さん(専修大学非常勤講師)


1. 発表の目的と方法
本発表では、表象や軍隊の政策の中で、兵士の婚姻関係の有無(以下、「婚姻地位」として記述)やシングル性がどのように扱われているのか、また、その扱いが、社会的な文脈や兵士の市民社会への帰属の有無によりどう規定されるのかを明らかにしようとした。
西欧では近代に入って、傭兵から構成される軍に代わり、市民から構成される常備軍が主流となった。しかし、第二次世界大戦後、民間軍事会社が出現し、今日では戦争・紛争や国連PKO活動において重要な役割を果たすようになった。また、近代以降であっても非市民を入隊させる軍隊があり、軍務就役と引き換えに外国人に市民権を賦与する軍隊もある。本発表では、①傭兵軍から市民軍へ、そして民間軍事会社の出現という軍隊構成の歴史的変化と、②非市民兵士の市民権獲得の過程を取り上げることにより、市民という地位(市民権)と兵士の婚姻地位の取り扱いとの関連を明らかにしようとした。その際、軍隊構成の長期的変動については主に、西欧の軍隊についての文献研究で得られたデータを分析し、非市民兵士の市民権獲得については主に、英国陸軍に所属するグルカ兵についての私自身の調査研究により得られたデータを分析した。ここで言うグルカ兵とは、他国の軍隊・警察によって雇用されるネパール人兵士のことを指す。

2. 軍隊構成の歴史的変化と兵士の婚姻地位の取り扱い

中世以降、前近代の軍隊は一般に傭兵から構成されていた。政策担当者や著述業に従事する人々の傭兵の婚姻地位についての関心は、決して強くはなかったと考えられる。(貴族など、身分の高い士官は別である。)兵士の社会的地位は低く、その妻子はキャンプ・フォロワーなどと呼ばれ寄生虫的な存在として見なされるのみであった。
その後、操作が容易なマスケット銃の発明や主権国家体制の成立などに伴い、市民軍が登場する。さらに、「近代家族」と呼ばれる新しい家族の規範が登場すると、市民兵士というモデルと近代家族というモデルの重合が進行することとなった。その結果、男性異性愛者・既婚という兵士のステレオタイプが確立し、妻子を扶養し頼りがいがあるという属性が、兵士の男性性を構成する要素に加わることとなった。
総動員体制の敷かれた世界大戦期には「銃後」の家族をもつ男性が軍隊に入ることが、国家・市民社会の団結を促進することとなった。彼らが提供する交換価値とは、生命もさることながら、市民社会を防衛する市民というモデルだったのである。
第二次世界大戦後には多くの国が志願兵制に移行し、常備軍に多数の兵卒を抱えることとなった。しかし、低出生率や経済成長、労働規範の変化により、軍隊の人員を充足することは困難となっていった。そこで、軍隊は兵士を確保・維持するために、その家族に手厚い福利厚生を保障すると同時に、家族に対する管理を強めた。また、次世代の兵士の供給源として軍人子女に注目、兵士の親子関係にも介入するようにもなった。
1970年以降には、一人親家庭の増加という変化を受けて、シングル・ファーザー兵士に対する関心が芽生えた。米国では、このような趨勢に対応するような男性性の再構築を行うべきだとする議論も現われた。
以上見てきたように、近代以降、市民軍の主流化や近代家族モデルの登場、世界大戦以降の志願兵の募集難という社会的文脈の中で、軍隊は兵士の婚姻地位に関心をもつようになり、兵士の確保・維持についての政策にもその関心が反映されるようになった。それに伴い、妻子の扶養者という属性に基づく男性性が構築された。

3. 非市民兵士の婚姻地位の取り扱い
傭兵や民間軍事会社社員といった非市民兵士もなると、政策担当者は兵士の婚姻地位に大して関心を寄せていないように思われる。小説や映画といった表象を見ても、こういった兵士たちは一般的には、報酬目当ての一匹狼というステレオタイプに基づいて描かれることが多い。彼らが提供する交換価値は、彼ら自身の生命と戦闘能力のみなのである。
ただし、民間軍事会社について関心が高まり、会社を合法的な存在として認知しようという動きが出てきている現在、妻子を扶養するために危険な仕事に従事する民間軍事会社社員の姿も紹介されるようになってきた。

4. 英国陸軍グルカ兵による市民権獲得の過程
英国陸軍グルカ兵は1815年以来、英国の海外権益を防衛する任務に携わってきた。1947年以降は、ネパール人でありながら、英国陸軍の正規兵である。
グルカ兵が英国世論の中で注目されるようになったのは、インド大反乱(1857-1859)の制圧で軍功を上げてからのことである。グルカ兵は英国人兵士やスコットランド人兵士、シク教徒などと共に、マーシャル・レイス(martial race、軍務に適した種族)として、新聞や軍事マニア向けの読み物、退役士官の回想録等の中で取り上げられるようになった。以来、今日に至るまで、グルカ兵は、「臆病者であるくらいなら死んだ方がましだ」というモットーを掲げる勇敢にして忠誠心あふれる兵士として、描かれてきた。また、英国人士官は大隊を家族として見なし、グルカ兵を子どものような存在とする表象を生産し、彼らをboyと呼んできた。つまり、グルカ兵は自らの生命や銃後の家族を顧慮せずに戦う兵士として描かれてきたのである。このような表象においてはグルカ兵が妻子を扶養する父であり夫であるという要素が欠如しているといってよい。
しかし、実態は表象とは少し異なる。結婚はほとんど全てのグルカ兵にとって極めて重要なライフ・イベントである。さらにグルカ兵と共に駐屯地で住む家族は、英国人兵士の家族と同様に、軍の管理下におかれている。ただし、英国の経費節減のために、多くのグルカ兵が駐屯地で家族と住むことが許されず、あたかも独身者であるかのような生活を強いられてきた。また、グルカ兵の志願者が多いということもあって、英国陸軍のグルカ兵の息子たちへの働きかけは限定されたものとなっている。
こうした、表象や政策におけるグルカ兵の婚姻地位の取り扱いは、市民兵士のそれと傭兵・民間軍事会社社員のそれとの間にあるといえるかもしれない。
グルカ兵の雇用の状況が大きく変化するのが、1990年代に入ってからである。1980年代後半の東欧革命や1997年の香港返還を受け、英国陸軍はグルカ兵の大規模なリストラを実施、それと同時に雇用政策の改善にも着手した。一方、リストラされたグルカ兵は退役グルカ兵運動を開始し、グルカ兵と英国人兵士の恩給の平等化や英国在住権などを要求するようになった。このような退役グルカ兵の運動は英国世論の支持を集め、2004年にはグルカ兵は英国市民権を得られることとなった。この決定を受け、グルカ兵はイングランド南部に点在する駐屯地の周辺に住宅を購入し、妻子をネパールから呼び寄せ、暮らすようになった。
その間、英国の新聞誌上では、英国で家族との同居を開始したグルカ兵の姿などが報道され、父であり夫でもあるというグルカ兵の表象が出回るようになった。これは、勇敢さや忠誠心ばかりが強調された過去の表象とは異質のものであり、注目されよう。

5. 結論
市民兵士と非市民兵士とでは婚姻地位の取り扱いが異なる。なぜか。それは兵士の婚姻地位が、兵士の獲得・維持や士気の維持、男性性の構築、兵士の提供する交換価値、モデルとなる市民兵士のあり方などと深くかかわっているからである。市民兵士と非市民兵士は、これらの諸側面において異なる存在である。よって婚姻地位の取り扱いも異なってくると考えられる。その意味で、非市民兵士であるグルカ兵が市民権を獲得する過程においても、民間軍事会社社員の業務が社会的に是認できるものとしてノーマライズされていく過程においても、彼らが夫として父として表象されるという現象が生じていたことは注目に値する。
結局、軍隊は市民/非市民の分割線と既婚/独身の分割線により、兵士の法的地位や役割、待遇などが構造化されている組織であるといえるのではないか。
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